俳句と和菓子で味わう島田の歴史

島田市内には、松尾芭蕉をはじめ俳人や文化人の句が刻まれた「句碑」が、30箇所ほどあるのをご存知ですか?

今回は、街中で見かける句碑の謎と、きざまれた俳句に関連する和菓子で、島田の歴史を味わってみましょう!

目次

島田に松尾芭蕉の句碑が9つもあるのはナゼ?

<本通三丁目 / 芭蕉翁駿河路や句碑>

島田市内に最も多いのが、松尾芭蕉の句碑で、その数は9箇所にのぼります。

「芭蕉の句碑が、どうして島田に9つも?」と気になりますよね。

江戸時代、市内を流れる大井川は、幕府の防衛対策により橋をかけることや渡し船が禁止されていました。

大雨で川の水かさが増えると、旅人は川を渡ることができず、島田のまちで足止めされることに。

芭蕉もそのうちの一人で、大井川の増水で島田に滞在することになり、その間に詠んだ俳句が句碑として建立されています。

「五月雨の 空吹き落とせ 大井川」

濁流の大井川を見て天候の回復を願う句や、住民のもてなしに感謝する句が、句碑になっています。


句碑についてはこちらをご覧ください。

大井川と旅人から生まれた島田名物「小饅頭」

<清水屋 / 小饅頭>

難所として多くの旅人を泣かせた島田ですが、滞在する旅人で街はにぎわい、宿場町として栄えます。

芭蕉が滞在したおよそ30年後、同じように島田宿に立ち寄った旅人から生まれたのが、名物「小饅頭」です。

小饅頭は、島田宿で菓子屋を営んでいた清水屋五代目伝左衛門が、滞在していた紀州浪人の置塩露庵から甘酒を使った饅頭づくりを教わり販売したのがはじまり。

饅頭はたちまち島田の名物になり、現在は島田駅周辺の和菓子店で、各店こだわりの小饅頭を買うことができます。

大井川の川越しをモチーフにしたお菓子たち

<みのや 大井川もなか / 中村菓子舗 川越しまんじゅう / 龍月堂 連台越し・川越遺跡>

島田の和菓子店では、大井川の川越しをモチーフにしたお菓子が販売されています。

川越札の形をした「大井川もなか」や、旅人気分で食べられそうな「川越しまんじゅう」、梅を使った連台越しのお菓子など、当時の旅人に思いを馳せながら、ぜひ食べてみてくださいね!

蓬莱橋の句碑と和菓子

大井川に橋がかけられたのは、明治に入ってからのこと。

世界最長の木造橋としてギネスに認定されている「蓬莱橋」は、牧之原台地に茶畑をつくるために明治12年に架けられました。

蓬莱橋のたもとには、3つの句碑があります。

「大井川即吟詩碑」は、理論物理学者であり歌人でもあった石原純が、蓬莱橋のほとりで晩涼のひとときを楽しんだときの詩です。

他にも、小説、随筆、劇作家として有名な吉田絃二郎の「しぐれけり句碑」と、俳人田中波月の「ほうらい橋波月句碑」があります。

句碑の内容については、蓬莱橋の番小屋の方に聞いてみてくださいね。

島田には蓬莱橋の和菓子がいっぱい

<龍月堂 / ミルク饅頭大井川蓬莱橋 ・ほうらい橋巻・ ほうらい橋パイサブレー>

島田市内の和菓子店には、蓬莱橋をモチーフにしたお菓子がたくさんあります。

龍月堂さんには、蓬莱橋のお菓子が数多くあり、おみやげや贈り物にオススメですよ。

ぜひ、島田駅周辺の和菓子店で、蓬莱橋のお菓子を探してみてください。

島田の句碑と和菓子めぐりをしてみよう!

<島田市役所駐車場 / 大井川俚謡碑>

「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と語り継がれた大井川と島田宿。

難所と言われた大井川は、島田宿をにぎわせ、たくさんの和菓子が生まれるきっかけにもなりました。

島田市内の句碑や和菓子店をまわりながら、島田の歴史や、江戸時代の旅に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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